魔王と小僧
それはまるで
物語に出てくる『魔王』のようだった。
ベギッ
凍てついた冬の空気にふさわしくない、
鈍く裂けた音が響く。
と同時に、 斧を握った手元には
嫌な感触が伝わった。
ああ…またやってしまった。
今日で何度目になるかわからない溜息をつきながら
僕は、切り株に深く突き立った斧と
懸命に格闘する。
引き抜こうと藻掻く度に、
切り株はメキメキ…と軋みを立てた。
深い溝があちこちに刻まれたその姿は、
なんだか自分の姿を見ているようで同情を覚える。
斧はなかなか抜けない。
強く力をかけようにも、、斧が壊れる事の方が怖いので
なんとか少しずつ、慎重に、
ゆっくり引き抜こうと試みる。
今度はかなりまずい。
斧の刃が折れたかもしれない。
前にも一度、『加減』を間違えて
斧を壊してしまった時には
随分とひどい折檻を受けた。
殴られる事も、 真冬の倉の寒さにも慣れてはきたが
食事を抜かれることだけは、なかなかつらい。
なので今の斧は、欠けたり歪んだりしながらも
なんとか騙し騙し使ってきたが
もし刃が根元から折れてしまったら、どうしようもない。
頼むから欠けるだけであってくれと
祈る様な気持ちで、一気に斧を引き抜いた。
刃先を真っ先に確認する。
ああよかった。
欠けが広がったが、根元に亀裂は入っていない。
次はもう少しうまく加減をしよう
と、ぼんやり安堵した。
その時だった。
「小僧。面白い事をやっているなぁ」
見知らぬ声が、頭の上から降ってきた。
退屈で死にそうだ。
やはり田舎になんぞ来るものではない。
『魔境』や国境に近い『境界』ならともかく、
『魔境』からも、中央都市部からも
中途半端に遠いこの『中空』地域は、
いい意味では平和。
悪い意味では平凡。
早い話が特筆すべきものが何もない
ド田舎であった。
『中空』地域では中央と
『境界』を結ぶ街道や橋が 数多く整備されてはいるが、
基本的に素通りするだけのエリアである。
特に、この岩と雪で覆われた東部・山間部は
昔は宿場町として栄えたらしいが、
『東の大魔境』が広がって以来、東からの交通は
ほぼ途絶えており、年々寂れていく一方だという。
いつもなら『魔境』と『境界』の視察が終われば、
さっさと中央に戻っているのだが。
戻ったら戻ったで、側近共が山ほど
用意しているであろう面倒な書類との格闘を思い出し、
ふと気まぐれに。
現実逃避も兼ねて。
『中空』地域の視察をしようと 思い立ったのがいけなかった。
・・・・・・・・退屈だ。
本当に
本当に何もない、この田舎町は。
我が身の仰々しい警護すら間抜けに思えてきたので、
早々に馬車を降り、 徒歩で歩き出したのが
20分ほど前のこと。
独りで歩く、ついて来るな
という 俺の命令を鮮やかにスルーして
後ろから静かに、わずかに距離をとりながら
ロディエルとモーガンの二人が随伴している。
しかし気配と足音を消すのが巧みなこの二名は、
俺の散歩の気を散らすようなことはしない。
なので、好きなようにさせている。
空は白く、低い。
薄曇りの天気が、冬の冷気を
町ごと閉じ込めているような空気だった。
辺りは静かで、昼間だというのに
人通りはない。
町の目抜き通りでさえ、 雪を踏み締める俺の足音以外は
何も聞こえない有り様だった。
…本当に人が暮しているのか?
あまりのゴーストタウンっぷりに、
いよいよ最後の興味も失いかけた
その時だった。
薪を割る音がする。
普段ならどうという事は無い生活音だが、
この静寂の中ではひと際、存在感を
放つ音だっただけに
自然と音のする方向へ、足が向いていた。
古びた屋敷の、裏庭の一角。
痩せっぽちの子供がひとり。
この寒空の下、黙々と薪を割り続けていた。
真冬だというのに、襟巻はおろか
上着すら羽織っていない。
粗末な靴には、雪と泥がしみ込んでおり
召使いというより、殆ど奴隷に近い格好だ。
カンッ
薪を割る、軽快な音が響く。
この薪割り小僧と俺との距離は、
もはや10mも離れてはいなかったが
よほど作業に没頭しているのか、小僧がこちらに気付く様子はない。
慣れた手つきで薪を拾い、
斧を振り上げ、
小気味よいテンポで割っていく。
機械的なその作業を、しばらく眺めていた。
ふと、
違和感を覚える。
小僧は淡々と、淀みなく薪を割り続けている。
辺りに転がっている薪は見事に両断されており、
その断面は、鋭利な刃物で切られたことを物語る様に
滑らかに光っていた。
しかし、
先程から小僧が振り上げている
その『斧』は
風雨による赤錆と
ノコギリのように欠けた、刃先。
とても用を為さないシロモノであった。
「・・・・・」
背後に控えたロディエルとモーガンが、
静かに、感嘆の眼差しで
小僧を眺めている気配を感じる。
こいつらも、どこにでもいるような
この薄汚れた小僧が
『相当達者な芸当』をやっていると理解したのだろう。
ベギッ
先程とは打って変わった鈍い音と共に
小僧の動きが止まる。
どうやら『加減』を誤ったらしい。
焦った様子で、切り株に深く食い込んでしまった斧を
引き抜こうと格闘している。
何も無いと思っていた田舎町で、
思わぬ収穫が舞い込んできたようだ。
俄然興味が湧いてきた俺は
『視察対象』を
この小僧のみに絞ることに決めた。
「小僧、面白い事をやっているなぁ」
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